この記事ではカレーの歴史、スパイスの歴史について解説しています。カレーはインドで誕生した煮込み料理です。大航海時代を経てインドから世界中に伝わりました。今では世界各地で形を変えながらポピュラーな食べ物として人気を誇っています。
スパイス
スパイスの歴史
スパイスは薬草として紀元前から使われていたことが、世界最古の文献「ヴェーダ」に記載されています。
ヴェーダとは紀元前1000年前頃にあらゆる知識が記載された古代インドの文献で世界最古ともされている。霊的なものから医学、薬学、植物学などあらゆる分野の知識が記載されており、例えば医学分野においては西洋医学の基礎にもつながったとされている。
スパイスは古代、防腐効果や殺菌効果から保存料や薬として使われていました。また宗教的な儀式にも使われていたと言います。
古代ギリシャ人にもローマ人にとってもスパイスは医療目的で使う貴重なものとして使われていました。
スパイスの種類や効能については以下で詳しく解説しています。
中世にはインドからはヨーロッパまで陸路でも運ばれていましたが、当時の運搬は道中で襲われたり、病気や災害に巻き込まれたりと非常にリスクが高く、到着まで数年かかりました。
ですからスパイスは非常に貴重なものとされていました。特にコショウ、クローブ、ナツメグ、シナモンなどは入手が難しく特に高価だったようです。
モルッカ諸島で取れたスパイスはインドの港を経由し、アラビア海からエジプトに渡り、その後アラブ商人によりイタリアのヴェネツィアまで運ばれました。
スペインやポルトガルなどのヨーロッパ人たちはこのイタリア人が仕切る胡椒の価格を不満に思っていました。15世紀末にはオスマン帝国がエジプトまで支配したことでさらに価格が高騰し、結果的に海路開拓を目指す事となるのです。
大航海時代になるとスペインのコロンブスが西を目指し、アメリカ大陸を発見しました。彼は現地人が取るとても辛い食事を食べる様子を見て、その地がインドと確信します。
そして今でも唐辛子がペッパーと呼ばれるのは、彼は同じく唐辛子が胡椒であると確信していた結果なのです。
その6年後、ポルトガル人のガマがインド西海岸のマラバルに航海を成功させます。その結果、貴重だったスパイスがより安価に手に入るようになったのです。
その後、ヨーロッパ各国の海洋貿易が活発になると、薬用だけでなく肉の貯蔵用として一般大衆も利用できるほどにスパイスが浸透していきました。
スパイスが浸透すると、消費量が増し、産地の争奪戦が起こり始め、各国がスパイスを巡って次々と植民地を獲得し始めました。
日本の食文化とスパイス
日本においては西暦700年頃には、コショウなどのスパイスはすでに日本に伝わり、貴重な薬として利用されていました。
熱帯地方では食材の鮮度を保つ事が難しいため、スパイスを防腐剤として利用したり、食材の臭みを消すためにも使われてきました。
一方、気候風土が異なる日本では新鮮な食材を確保しやすく、防腐剤や臭み消し用途としては積極的に利用されませんでした。
海や川に囲まれた国土は新鮮な魚介に恵まれ、鮮度が高いうちに食べる事が出来ました。
そのため日本では様々なスパイスやハーブで食材に香り付けするような料理法は長い間発展しませんでした。
刻んだネギやワサビなどの香草を薬味として食材に載せ、醤油を付けて食べるなど食材の味を活かしつつ、香りを添える程度の料理が普及しました。
鎖国が終わると、明治維新により他国の文化が流れ込むようになります。
第二次世界大戦前には、すでにカレー粉という形でスパイスは食卓で消費されていました。
終戦後、食の欧米化が加速すると一気に西洋料理が普及し、一般家庭でも様々なスパイスを使うことが一般的になりました。
カレーの歴史
カレーはインダス文明が生まれた地、インド半島で誕生しました。
カレー誕生
インドを歩くと当たり前のように牛を見かけます。しばらくするとどこかへ行ってしまいますが、また翌日同じ頃には戻ってきます。周辺には彼らの糞がよく落ちています。
遠い昔電気やガスが無い時代には、燃料に牛糞がよく使われていました。牛糞は火力が小さく炒め物には向きませんが、ゆっくりとした煮込み料理に向いています。
牛糞が無いと死活問題だったでしょう。食事を作ることが出来ないからです。牛は大切な資産とみなされ、殺す事が禁止されました。
牛は日々の暮らしにとても貴重であったことがうかがえます。
まず乾燥した牛糞を使って火を起こします。そしてスパイスと一緒に野菜等を鍋に入れてじっくり煮込んでいく。これがスパイスで食材を煮込む料理、カレーの始まりです。
インドのカレーは辛いという印象の方もいらっしゃると思いますが、カレーとは本来スパイスで野菜や魚などを煮込んだスープです。
唐辛子がインドに伝わったのは誕生からずっと後の17世紀頃で、それまでは胡椒やマスタードを使って辛味を付けていました。
インドのカレー
インド料理というとカレーというイメージが日本人には定着していますが、インドには日本人が思い浮かべるようなカレーという料理は存在しません。
日常的にはインド人はターメリックや胡椒などのスパイスで作った煮込みや炒め物を食べています。
日本のカレーとはかなり異なり、それぞれ固有の名前がついています。これについては以下で詳しく解説しています。
東西南北に国土が広いインドでは各地域で全く別の料理が食べられています。
例えば、北インドと南インドだけでも採れる食物、気候やスパイスも異なります。
北インドと呼ばれる地域ではムガール帝国に支配されていた歴史的な背景もあり、アラブ料理の影響を受けています。
ベジ率(ベジタリアン)は50%程度とも言われており、チキンやマトンを使った料理も多く食べられています。又、バターや生クリームを使い、濃厚クリーミーなカレーも存在します。
山岳のラダック地方は、フルーツや野菜の栽培が盛んです。一般的に知られた北インド料理とは異なり、野菜を主にしたスパイスのあまり効いていない煮込み料理が食べられています。
カシミール地方ではラダック地方同様、フルーツや野菜は盛んに栽培されているものの主なタンパク源は肉。肉料理が盛んです。
一方、南インドはベジ率が90%という統計もあり、野菜や豆を煮込んだり炒めたりした料理が多くみられます。
年間を通して気温が高く、食欲増進のためにも辛味や酸味が強い料理が好まれます。又、身体の水分を補うためにもサラッとしたカレーが多くなります。
西インドのゴア州は、国土の南北比較では南インドに該当するエリアです。
しかし、ポルトガルに植民地支配されていた歴史的背景もあって魚や豚肉の煮込み料理も食べられており、酸味のあるポークビンダルーというカレーはゴアの代表的な料理です。
東インドの西ベンガル州には旧首都コルカタがあり、人口はデリー、ムンバイに次ぐ大都市でもあります。この地域は高温多湿、水が豊富で、米と魚料理が盛んです。
インドから日本へ
カレーはまずインドからイギリスに高級インド料理として伝わりました。
大航海時代、イギリス人は本国と植民地を行き来する暮らしをしており、到着した彼らにはインド料理が振舞われていたようです。
料理を気に入ったイギリス人はレシピを本国に持ち帰ったとされています。そのレシピはイギリス人の舌に合うようにアレンジされて欧風カレーが誕生しました。
日本には明治時代に入って西洋料理として欧風カレーが伝わりましたが、米食文化の影響を強く受けた結果、そのままでは定着せず、カレーライスという形で日本人に合うようにアレンジされた料理が代わりに広まりました。
戦後、インド人の商人が貿易のために日本に来て住むようになると、彼らの食文化を支えるインド料理店も増加しました。横浜や神戸などの港町にはインド料理店が多いのもそういった理由があります。
宝石店の多い東京の台東区御徒町周辺や2000年問題解決のためにIT技術者が多く移住したと言われる江戸川区西葛西地区にはインド料理店やインド食材店がたくさん存在しています。
世界のカレー
様々なスパイスの原産地だったインドから広まったカレーは、各国で独自にアレンジされたカレーがたくさん存在しています。タイカレーやスリランカカレーもその一つです。
茹でたソーセージにスパイス入りのケチャップをかけカレー粉をトッピングしたドイツのカレーソーセージ(カリーヴルスト)もアレンジされたドイツ流のカレーです。
いかがでしたでしょうか。
インドでは、まず牛の糞を燃料として煮込み料理の文化が定着しました。そしてスパイスやハーブと煮込むことでカレーが誕生しました。その後、中世のスパイス貿易の時代を経て世界中に広まりました。
日本にはコショウなどのいくつかのスパイスはかなり昔に伝来されていましたが、遥か遠くインドからカレー文化が根付くまでにはその後1000年以上かかった事がわかります。
米食文化を基盤とする日本ではカレーは独自の進化を遂げ、カレーライスという食べ物として、誰もが知る日本の家庭料理の地位を獲得しました。
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